No.1
40代に突入してから、留学を考えはじめたフリーライター。
3年がかりで女1人、シアトルにたどり着いたものの--。アメリカ社会は、甘くなかった!
シアトルへ、ついに降り立った
ユナイテッド航空から割り振られたエコノミーチケットは、3列の真ん中の、居心地の悪い席だった。8時間半のフライトの間、これほど、一寸先さえ見えない旅は人生初めてだなと、改めて考えた。
私にとって、今後しばらくの家族となるはずである同居人、要はルームメイトが、車で迎えに来てくれているはず、なのだが。
彼女と私は、会ったことがない。シアトルのルームシェア掲示板で、私の掲載した「ルームメイト募集中」のページを見て、アクセスしてきたのが彼女だった。
交渉の過程でルームシェアの前金を要求された。振り込む前に、「せめて、声くらいは聞いておいた方がいいんじゃないか」と、一ヶ月分の共用費込み家賃である800ドルを、ネット送金するに、電話で軽く、しゃべっただけだった。
まだ友達じゃないんだから、もうちょっと、初対面らしく話してよ、と感じさせる話し方をする人だった。要は、彼女のあまりにくつろいだ英語は、ほとんど聞き取れなかった。英会話教師のような、日本人慣れしたアメリカ人の話すきっちりとした英語しか、私は聞き取ることができないのだ。
でも。
44歳、独身、自営でマッサージとエステのサロンをやっている。
私は43歳、独身、自営でフリーライター稼業をやっている。
似てるなあ。この年で、独身で、自営で、女一人が生きている。 その大変さを、誰より実感しているのはこの私じゃないか。
私の職業、フリーライターは、2万円、3万円といった原稿料収入の木の葉をかき集め、小さな山にして火をともし、なんとか暮らすのが相場である。彼女のやる、エステやマッサージだって、似たようなものだろう。
そんな中、月1600ドルもの家賃を払う生活ができているという人なのである。それなりにお客さんが付いているはず。 私が東京で、月13万円の家賃を払うのに、どれだけ苦労したかを思うと、1600ドルを固定費として月々払うなんて、涙が出そうな労働量になるだろう。
もっとも失業率が9%台にはりつく今回の大不況で、アメリカでも、自営は大変らしい。だからルームシェアしたい、と彼女はメールで言っていた。
経済的に大変なのか。
ルームシェア成功のコツは、お互いの金払いのよさ、騒音、異性問題にすることにある。金銭的に切迫した人が相手だと、「私の買ってきたトイレットペーパー、使いすぎじゃない?」「シャワー、流しすぎよ」みたいな、せせこましい問題がおきる懸念がある。
そもそも最初に全体の家賃を教えてもらえずに、後からふとレシートを目にして「私、払いすぎじゃない」と借り主に不信感を募らせた、という知人の話を聞いたこともあった。
我がルーミーの場合、最初から、全体の家賃は1600ドル、私には光熱費込みで800ドルをと明らかにしてくれていた。懐具合についての告白も、正直だ。
「私たち、近いよね」
彼女は電話でそう言った。はっきりと、それは聞き取れた。きっとこの人は悪い人じゃない。
このような、ほとんど直観だけを頼りに選んだのが、今日から寝起きを共にする、見知らぬアメリカ人なのだった。そして彼女との出会いが、私にとって、未知の大陸への最初の扉なのである。
No.2
待っていたのは、とんでもない家だった
「携帯電話を車の中に置き忘れちゃって、ごめんねぇ」
公衆電話をかけてもつながらず、半ば呆然としていた私の前に、さわやかにあらわれたのが、ルーミーこと我がルームメイトだった。
写真で見たままの容貌だ。よかった。
インターネットの結婚紹介サイトでは、よく「写真詐欺」があるという。実物とはかけ離れた、いい写真を使う女性が、とても多いのだそうだ。かつて取材した、婚活サービス会社の担当者が、言っていた。
「男性からのクレームで、一番多いのが、『現れた人が写真と全然違った』というものなんです」
だから彼女の写真がとても昔のもので、実はものすごい巨漢だとか、写真よりずっと老けていたりして、すれ違っても分からなかったらどうしよう、と密かに心配だった。
一緒に暮らす分には、巨漢でも老けていてもかまわない。でもいずれバレる相手に対してでさえ、そうでないよう、過度に自分を加工する精神の持ち主には、警戒が必要だと思う。
カラカラと笑う彼女に促され、赤いフォードの小型車に乗り込んだ。走るとすぐさま、私はシアトルの町並みの美しさに、息をのんだ。
左手には青い海、ヨットにかもめ、右手には緑あふれる丘の上の住宅街。
あのイチローが活躍する、セーフコフィールドもこの目にした。
ようやく来たんだ。
まだ何もしていないのに、ルームメイトと空港で落ち合って、車に乗せてもらっただけなのに。
妙な感慨が、湧き上がった。
そもそも私が、アメリカにいつか留学したい、と最初に思ったのは、高校生の時だった。高校に、学年で1人、1年間の交換留学に行けるというプログラムの案内が来た。
面白そう、行ってみたい。そう思ったけれど、音大受験を控えていた私は、「1年もピアノが弾けないんじゃ、無理だ」とあえなく諦めた。申し込みさえしなかった。その消極性を、しばらく後悔した。
20代の末にも、一度、留学したいと思った時期があった。今度は、奨学金制度に応募した。けれどもあえなく書類審査で敗退。思えば、会社での仕事に行き詰まり、現状から逃げ出したい、ただそれだけの留学志願だった。思いつきのような課題テーマを英語で書いて、提出した。「残念ですが」の通知に、その甘さを見透かされた気がした。
だからしいていえば、27年越しの悲願達成、といえる。今回は、20代の時と同じ奨学金制度に応募した。合格通知を受け取った時には、ようやく、「行ってよろしい」と神様にハンコをもらったような気がした。
30分ほどドライブした所で、家に着いた。小高い坂の上の、芝生におおわれたさらに小高い丘に立つ、煉瓦の煙突のそびえるブルーの家。
グーグルマップで何度も何度も検索して眺めた(プライバシー問題は懸念される所だが、いざ使うと便利なものである)、あのかわいい家だ。本物だ。
ところが、現実というものは、いつも思いも寄らないハプニングで人生を彩ってくれるもの。
ドアを開けると、待ちかまえていたのは、驚愕の光景だった。
とてつもなく散らかった、リビングルームであった。
