No.4
大型犬との勝負に勝って
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| 名前は、ミコ |
昼寝から目を覚ますと、ボクサー犬が家にいた。日中は、「ハッピードッグ」という、犬のデイケアサービスに預けていたから、とルーミーがいう。
でかい。体重は100ポンド、およそ45kgだというから、私とそんなに変わらない。バウバウ、息づかいも荒く寄ってきて、くんくんと嗅ぎ回る。それに、変な話だが、やたらと股のあたりに鼻を寄せてくる。ミコ、オスだから?
5分か10分か、ミコによる私の全身、ならぬ下半身検査が続いた。
「玄関から入ってくるんじゃなくて、部屋から出てきたでしょ。 『どこから来たんだ?』って不思議に思っているの」
ルーミーは言う。そりゃそうだ。
ミコとの体面は、私にとっては、密かに設定した一つの関門だった。
犬は、序列の動物だという。ミコにとって、これまでは一位ルーミー、二位ミコ、以下、インコやニワトリたち、だったはず。そこにちん入者がやってきた。
私の序列がどうなるか、それは私のこれからの、この家での生活に影響するはず。アメリカでの生活は、きっと、英語に苦労して、辛いことも多いだろう。だからこそ、家に帰ってまで、犬になめられて暮らすのはいやだ。
目があったら、自分からそらしてはいけない。
日本の友人に、こう聞いた。真偽は不明だが、関西弁でいう「メンチ切った」、やわらかに言えば、にらめっこの論理か。先に目をそらした方が負け。
ミコをにらみつけた。ミコも、じっと私の目を見つめている。30秒か、1分経ったか。
にらみ合いは、ミコが向こうを向いて、終わった。メンチ切りの効果があったのかどうかは分からないが、その日の夜には、ミコはもう私を臭わなくなった。
よく見ると、この家がちらかっているのは、ミコによる影響も大きいと分かった。古道具かと思った大きな布団のような固まりは、ミコの昼寝、かつ遊びのためのマットレスだった。その傍には、ミコのためのおもちゃ、ぬいぐるみを一杯に詰め込んだカゴがある。
メインのソファーの座部には、ミコのために、布が敷いてある。でもミコがソファーに座ると、布はよれるし外れる。
ミコは実によくしつけられていて、「座れ」「立て」「寝転べ」「腹を出せ」などなど、様々な号令を、一つ一つ聞き分けて、きちんと反応する。
けれどぬいぐるみを出したらしまう、というところまでは、できない。
ミコが家で動けば、遊べば、そこが散らかっていく。そしてルーミーは、それを片付けようとしない。
でもそれだけでは説明できないくらい、散らかっているのはなぜだろう。
とりあえず、初日はここまで。寝ることにした。
No.5
モノの多さが諸悪の根源とはいうけれど
よく眠った。目を覚ますと、一瞬、あれ、なぜ天井が白いんだろうと疑った。東京で住んでいた築年数不詳のあの古家の、汚れた茶色の天井はどこへ。
ここがアメリカなのだと悟るまで、30秒はかかっただろう。ルーミーはもう起きていた。
「ニワトリの鳴き声と共に起きて、彼女たちを小屋から出さないといけないから」。
勢いよく靴音を鳴らして、リビングを歩いていた彼女は、私を見るなり言った。
朝から元気一杯だ。4羽いるニワトリは全部がメス。総称「ガールズ」。でも実はそれぞれに、「エリザベス」とか「メグ」という名前がついている。ルーミーは全員を見分けているらしく、「ハーイ、メグ」とかいって声をかけていた。
ムツゴロウ王国か。ニワトリ小屋当番、いずれ私にも回ってくるのだろう。
それにしてもリビングはすごい。おもちゃ箱をひっくり返したようという表現が、これほどしっくりくる家は、なかなかない。20畳の部屋の、大おもちゃ箱。服や古いリネン類、何に使うのか分からない器具類や小さな棚、椅子などなどが、秩序なく積み上げられている。
キッチンも、また別の意味ですごかった。キッチン用品が充実しすぎてているのだ。
1人用の小さな片手鍋だけでも4つある。シチューを作りおきするようなサイズの鍋も4つ。ナイフ、フォークに至っては、それぞれ30本は下らない。
さらに圧巻なのは、様々な刃の形のナイフ類が、大小あわせて20本もあること。肉を切るのか、チーズを切るのか、用途はそれぞれなのだろう。でも1人暮らしの女性が、なにゆえ、こんなに刃物を溜め込んでいる?
調理器具もまた多い。 大型のジューサー、大型ミキサー、大型フードプロセッサーにハンディタイプのミキサー。 アメリカ製品は1つ1つが大きく、重そうだ。
レストランじゃないんだから。
そう、レストランじゃない。だって食べる場所がないのだから。
食卓の上には、また、段ボール箱やら謎の布類やらが山積みになっていた。食卓もまた物置と化していて、本来の機能は果たせない状態におかれていた。
結局、リビングのソファーを牛耳る大型犬のそばに、ちょこっと腰かけさせてもらって、シリアルを食べた。リビングの上空では、インコがさえずり、飛び回っていた。
なんて家なのか。私の東京の古家以上のひどさである。類は友を呼ぶとはいうけれど、国境を越えてまで、そんな友を呼んでもらわなくても。
のちに述べるが、この私こそ、なかなか並ぶモノのいないほどの片付け苦手女なのだ。でもこの家の混雑ぶりは、そんな私を圧倒させる迫力に満ちている。
私が片付けのできない理由は、それなりにあった。きっとこのルーミーにも、それなりの理由があるのだろう。
心に決めた。せめて自分の部屋だけは、ここまでにはしないようにしよう。
私の荷物は、段ボール箱で15箱ほど。部屋に山積みになっていた。渡米2日目は、偉大なる反面教師の存在におびえながら、ひたすら、段ボール箱の開封にあけくれた。
No.6
日米「片付けられない女」対決を前に
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| 自宅にて |
「あのミホがルームシェア? 無理だろう。あの混乱した家を、どうやってシェアするんだ」
私はこう、噂されていた。ここアメリカに来る前の年、09年末に東京・高円寺の家でルームシェアを始めた時のこと。
私の住んでいた高円寺は、音楽や映画製作を志すようなカルチャー系の若者が集まる街だ。若者に限らず、そういった、ふらふらとした人生を歩む大人も結構いて、私の家のお隣さんは、常時3、4人の日本人、外国人のルームメイトが入れ替わり、共同生活を営んでいた。「ミホが?」の発言主は、中国系カナダ人の若者だった。まったく、大きなお世話である。
ちなみに隣といっても、我が家と隣は、外から見ると一軒の巨大な古家だった。よく見れば玄関は二つある。壁を共有して、120áuもある立派な母屋がお隣さん、そしてやや簡素な作りで後からくっつけた形の離れが、うち。うちも2階建てで、70áu近くあった。
こう書くと、立派な古民家のように思われそうだが、どちらも、居むのはそろそろ限界だろうと思われるボロさだった。 天井にはネズミが走り回り、あげくの果てには、ネコほどの大きさのハクビシンが住み着いたこともあった。
ネズミも、ハクビシンも、もしかしてウチが片付いていないから?
害獣被害にあった時には、自分のせいかと、とても心配になった。
それでも片付けようとはしなかった。そのうち、引っ越すからいいやと考えていたからだ。アメリカに行くかもしれないし、という思いもあった。けれどもより根本的には、「この家は大地震が来たら絶対に崩れる」という、確信があったからだ。早晩、引っ越さなければならない、圧死したくなければ。だからその引っ越しの時に、片付けよう。こう思っていた。
私の家の混乱ぶりの主因の1つは、本の多さにある。壁3面は天井まで、前後二列に本を並べた本棚でつぶれていた。
でも言い訳をさせてもらえば、家で仕事をしているのだ。この家は仕事場でもあった。そして私の仕事場の原風景は、大卒後、すぐに入った新聞社の記者部屋である。そこでは机の下が古新聞で一杯で、足が入れられないような人が何人もいた。それでいいんだ、とひな鳥が親鳥からすり込まれたようなものだ。私もあっという間に、書類山積記者の仲間入りをした。
他人のせいにするような言い方で、書いていて恥ずかしくなったが、やはり人間の成長に、環境要因の影響は大きいと思う。
だから会社を辞めても、仕事場といえば、そのイメージである。ただ、大きな問題はあった。
自宅を仕事場にすると、本来は生活空間である、食事をするスペースや寝る部屋までが、職場化してきてしまうのだ。ゆるやかに、本が、雑誌が、書きかけのメモが、家中に散乱するようになっていった。
「あのミホが」と揶揄される状態は、こうして少しずつ、できあがっていった。
だからこそ、私にとっては、「ルームメイト募集」は、片付けのできない女からの脱皮を強制的に行う、大プロジェクトだった。
我がルームメイトには、迷惑な話である。生活改善の実験の、道具にされて。
そして因果応報とはよくいったもの。
アメリカでは、今度は私が、逆の立場におかれていた。つまり我がルーミーは、私とのルームシェア生活を機に、「片付けられない女」からの脱出を、計ろうとしていたのだとは後から知った。


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